名将、天国へ旅立つ。

プロ野球

1975年から始まる、カープ黄金期を率いた名将、古葉竹織さんが今月12日に亡くなりました。享年85歳。監督在任11年の間に、リーグ優勝4回、日本一3回。1975年ジョー・ルーツ監督の突然の辞任のため、39歳の若さでコーチから監督に昇格してからの11年間。今さらながら、古葉さん無くして、今のカープは無いと云えるでしょうね。1970年野村克也選手兼監督に請われ、12年間在籍した広島からトレードで南海へ移籍し、2年間現役として、その後2年間守備・走塁コーチとして野村監督の下で緻密な野球(厳密には、ドン・ブレイザー氏の「シンキング・ベースボール」ですね)を吸収し、その経験が、カープに戻ってから、世に言う「機動力野球」「古葉野球」として花開きました…。もう、小生なんかが軽々しく語れるレベルじゃないっす。 野球界や政界の大御所が故人を偲ぶコメントを寄せられていましたのでご紹介いたします。

エラー|NHK NEWS WEB

(NHK、2021/11/16)

“ミスター赤ヘル”山本浩二氏 古葉さんは全てお見通しだった 恩師を追悼 - スポニチ Sponichi Annex 野球
 「赤ヘル旋風」の中心として当時、広島の主軸を担ったのが山本浩二氏(75)。打線の中心として古葉広島を支えた衣笠祥雄さんの3年前の死去に続き、黄金期を率いた恩師・古葉竹識さんの死を悼んだ。
江夏豊氏 古葉竹識さん訃報に「永遠の感謝」 “江夏の21球”当事者にも「優勝の味を教えてもらった」 - スポニチ Sponichi Annex 野球
 江夏豊さん(73)は古葉竹識氏の訃報に少し黙り「感謝」と言った。「感謝というのは時間がなんぼたっても変わらない。永遠の感謝なんだよ」

(スポニチアネックス、2021/11/17)

しかし、何で広島市長選挙に立候補してしまったかのう…。晩年、広島から遠のいてしまったことが、やっぱり残念ですよね…。

鈴木誠也選手の旅立ちについては、これからいっぱい語りましょうかね。

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